日本を元気にするヒーローの物語
そのキャラクターが僕に舞い降りたのは18歳の時でした。
なんとなく落書きで描いたキャラクターですが、周りの友達が気に入って「このキャラクターやばない?(すごく良いの意)」と言って、中には携帯の待ち受けにする人もいました。
「たしかにこのキャラはやばいかも(すごく良いの意)」と思いましたが、今でこそネットで作品を発表することは簡単になりましたが、当時はインターネットもよくわかっておらず、twitterやfacebookはおろか、mixiも無い時代でした。
歴史に残るようなキャラクターを思いついたのにそれをどうすればいいかがわかりませんでした。
むしろ中途半端に公表したら大企業にぱくられると本気で思ったので一度封印することにしたのです。
色々なことをしてフラフラしていた25歳のとき、物語を作りたいという想いと、手に職をつけようという想いでCGを勉強して就職しました。
映像制作会社で2年ほど働いて「今こそあのヒーローを解き放つべきだ」という声が聞こえた(ような気がした)28歳の春。
3DCGを使ってあのヒーローの物語を作ろうと決心したのです。
それからというもの平日は仕事が終わってから終電まで会社に残り、金曜は泊り込みで土曜の夜まで制作、3連休などがあれば毎日会社に行き制作しました。
そんな生活を3ヶ月間続け、ついに日本を元気にするヒーローの物語が完成したのでした。
子供から大人まで見てくれた人をほっこりさせる魔法がかかっています。
その物語が・・・
「国旗まん」です。
2012年の秋に完成した国旗まんはその後、ありがたいことに国内のコンテストでいくつか賞を頂くことが出来ました。
主な受賞暦
宮城・仙台アニメーショングランプリ2013 グランプリ受賞
インディーズアニメフェスタ2013 市民審査員賞受賞
15thTBSデジコン6 サンライズ賞受賞
TSSショートムービーフェスタⅨ 佳作受賞
茨城デジタルコンテンツソフトウェア大賞2012 企画部長賞受賞
ショートショートフィルムフェスティバル&アジア2013 ノミネート
ASIAGRAPH2013 入選
やはり1番嬉しかったのは宮城仙台アニメーショングランプリでグランプリを受賞したことでしょうか、ゆるい作品なのでコンテストなどでは評価されづらいと思ってました。
あとは三鷹のインディーズアニメフェスタで会場に来ていたお客さんのアンケートで最も良かった作品に贈られる市民審査員賞の受賞もとても印象に残っています。
会場に溢れた子供たちの笑い声は経験したことのない不思議な気持ちになったのを覚えています。
オリジナルコンテンツとして
それまで何も言わず傍観していた僕の勤める会社も国旗まんがコンテストを次々と受賞するのを見て「これは会社のオリジナルコンテンツとして売り出せる」とその可能性にやっと気付き、急に国旗まんのイラスト入りの名刺、国旗まんの公式サイトの制作の準備、国旗まんの商標権の登録と慌ただしく売り出すための準備に入りました。
会社のアカウントを作りyoutubeに動画をアップしちゃったりして。
キャラクターを売り出す
2014年から東京アニメアワードフェスティバルと名前を変えてリニューアルされていますが、当時は東京国際アニメフェアという名称で、一般の方が来るパブリックデーとビジネス目的の方が参加するビジネスデーがありました。
来場者数は10万人を越える大きなイベントです。
コンテストの懇親会で業界の偉い人と話してみると、やはりキャラクターを売り出すには東京国際アニメフェアなどでバイヤーに目をつけてもらわないとダメとのこと。
宮城仙台アニメーショングランプリは受賞作品が東京アニメフェアに出展できるので国旗まんを東京アニメフェアでアピールすることに。。
僕は会社の後輩とともに東京アニメフェアが開催された2日間で2000枚のフライヤーを配りました。
ですが現実は厳しく、声をかけてくるのは自社の宣伝を目的とした勧誘のものばかり。
それよりも僕が出展して嬉しかったのはパブリックデーで来場し国旗まんを見ておもしろいと言ってくれた人たちの声でした。
むしろ、それだけで満足でした。
ビジネスとしては何も起こらなかったけど、作り続けていればきっとうまく行くという自信がありましたし、とにかく続編を作ろうと思っていました。
ですが、僕のそんな希望はある人物の一声でもろくも崩れ去ってしまったのです。
事件勃発
東京国際アニメフェアが終わってから、数日たったある日、会社に1人のおじいちゃんがやってきました。
そのおじいちゃんは社長の大先輩で、社長はそのおじいちゃんに国旗まんを見せてみたのです。
おじいちゃんは真剣な表情でこう言いました。
「ダメだよ。国旗なんて題材にしちゃあ。右翼が何を言うかわかんないよ。
家族にも危険が及ぶ可能性がある。」・・・と。
右翼というのが何か、僕にはまったくわからないし「狙われるくらい有名になってから考えれば良いじゃん」とも思いますが、家族をこよなく愛するうちの社長がその言葉を聞いてどう判断するかは決まりきっていました。
会社は国旗まんから手を引くことになりました。
国旗まんのその後
僕は特に落ち込むことなく、個人で続編を作ればいいやと考えていました。
自分のyoutubeアカウントで国旗まんをアップし、第4話、第5話と続編を制作。
ですが。。
まったく見てもらえない。
それからは「どうやってみんなに知ってもらうか」ということを常に考えて
マーケティングの勉強をして、このブログも始めたというわけでございます。
国旗まんの挑戦はまだ終わっていません。
僕の人生を懸けて、国旗まんを「日本を代表するキャラクター」にしてみせましょう。